大判例

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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)800号・昭40年(わ)4240号・昭40年(わ)6125号・昭41年(わ)2307号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕第三、同年一〇月一四日大阪市天王寺区上之町八番地料理旅館「金竜閣」において前記兄弟分の浅野二郎がやくざ団体互久楽会系平沼組組長平沼高男と兄弟分の縁組披露宴を行うに際し、右浅野、平沼両名が共謀して右宴会に引続きいわゆる花賭博を開帳し利を得ようと企て、同日午後二時三〇分ごろから午後六時ごろまでの間同旅館一階「鶯の間」と「村雲の間」のとおしの客室において賭博場を開き、金昌洙、辻野嘉兵衛、菅谷三蔵ら十数名の賭客をして引札、張札等を使用して金銭を賭し俗に「手本引」と称するばくちを行わせ、同人等からいわゆる寺銭名下に金員を徴収して利を図るにあたり、被告人は、浅野らの右意図を知りながら同月初ごろ右旅館使用の交渉、取りきめを行い、さらに右開帳当日、賭客の送迎の責任者となつて賭博場への案内等を行い、もつて右浅野、平沼の前記犯行を容易にしてこれを幇助し……、

(金竜閣における賭博開張図利につき被告人を従犯と認定した理由)

判示第三の料理旅館「金竜閣」における賭博開張図利幇助の点についてその公訴事実は、被告人が浅野二郎及び平沼高男等と共謀の上賭博場を開張し利を図つたというのであるが、以下の理由により被告人についてはその従犯と認める。すなわち右の点について当裁判所が取調べた各証拠を総合すると、昭和三九年一〇月一四日右旅館において前記浅野二郎と平沼高男の兄弟分の縁組式、同披露宴が行われ、これに引続き判示の花賭博が開張されたが、これに際し被告人は前記のごとく菅谷政雄の舎弟として浅野と兄弟分の関係にあり、また、大阪在住の舎弟である事情もあつて、右縁組の世話役を引受けることになり、会場の取りきめ、挨拶状(案内状)の作成等その準備にたずさわり、右宴会当日は会場における責任者として客の送迎、案内などに従事したこと、右賭博のいわゆる寺師は平沼、浅野であつて、寺銭約一一万円は当日受けた祝儀と合わせ、宴会の経費等にあてた残りを右両名において取得したこと等の事実が認められ、右によれば被告人は少くとも右縁組式披露の準備および遂行に関しては重要な役割を果していたものと考えられる。

ところで、右宴会後の賭博開張に対する被告人の関与の程度について検討するに、前掲平沼高男の司法巡査に対する昭和四〇年八月三一日付供述調書中には昭和三九年一〇月一〇日ごろ被告人が右賭博開帳を勧めた旨の記載があり、浅野二郎の司法警察員に対する同年一一月一八日供述調書によれば、そのころ平沼、浅野および被告人が賭博を計画した旨の記載が見受けられるが、前掲証人初田節三の供述からもうかがえるように、やくざ仲間において当時この種の儀式、宴会に花賭博の予定されるのは通例であつたと考えられ、本件の場合被告人がことさらその開張を勧めたり計画したりする必要が果してあつたかどうかは極めて疑わしいと言わねばならない。もつとも、被告人は司法巡査に対する昭和三九年九月二日付および検察官に対する同月八日付各供述調書において右宴会の二、三日前に浅野、平沼外二、三名の者と花賭博の段取りをした旨述べており、平沼の司法巡査に対する同月三日付供述調書等にも同様趣旨の記載があることなどから考えると、前記のような被告人の縁組披露宴における役割上、右宴会後に通例として予定された賭博開張に関しその準備にたずさわつたことは明らかであり、開張当時の本件賭博場における賭客の世話役でもあつたことは明らかであるが、右縁組披露が、挨拶状に基づき当事者である平沼、浅野を主催者としていわゆる親分衆の仲立のもとに行われ、従つて当日の出席者らはその後の賭博開張についても平沼、浅野両名を当然に寺師として考えており、寺銭は右両名が取得していること、および、被告人は浅野の世話で前記菅谷の舎弟となつたものでいわゆる浅野の弟分であり、右地位からみても、縁組当事者の平沼、浅野はともかく、やくざ仲間において被告人より地位の高い親分衆をも賭客として迎える本件花賭博の開張につきその主催者とは同視しえない立場にあること、その他本件賭博場を開くこと自体につき被告人が積極的な役割を果したと認めうる証拠も存しないことを考えると、当裁判所としては本件賭博開張図利につき被告人に対し共同正犯の罪責を認めることは困難であつて、右幇助にとどまるとみるのを相当と考える。(原田修 井上隆晴 松本克己)

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